私は、建築至上主義者である。
建築によってだいたいのことは解決できると思う。
例えば、建築によって人を健康にしたりだとか、幸福にしたりだとか。
一方で、こと日本社会において、建築の位置づけはというと、あまり芳しくない。
だいたい話題にのぼるときは、悪いニュースの場合だ。建築の吉報は滅多に訪れない。
しかしながら、私たちは常に建物に囲まれている。
今こうしてこの文章を書き記している時も、"家"という建物の中で身を守られながら。
では、建物と建築の違いは何だろう?
これは、建築に携わっている人々に聞けば十人十色の回答が返ってくることが大いに予想される難題である。
むしろそれを設計に反映させ具現化することが建築家の職能と言っても過言ではない。
だから、そんな抽象的なお話を一般の人々に理解させようというのが無理な話である。
誰も普遍的な解答を持ち得ていないのだから。
それでも無理矢理、建築と建物の違いとは何かと問うてみよう。
色々とああだこうだ考えたが、どうにも難しい表現になってしまう。
というか、設計者目線の回答になってしまう。
ここは思い切って、使い手である一般の人々目線を想定してみる。
となると、「ああこれは何か他と違うな、すごいな」と思わせる建物は建築的なのではないか。
建ったら、それはみんな建物である。
そこにどれぐらい建築的な要素や思考が重ね合わされているか。
それを人々は感じ取るはずである。
建築には強度のようなものがある。
私たちの身の回りにある建物たちは大して建築的じゃないものばかりに溢れているのだ。
だから、建築とは何か、建築に何ができるのか、感覚として分かっている人は少ないだろう。
さて、その建築的なものは何か、というとこれは難しい話になるので、また別の機会に。
建築の可能性を人一倍感じているがゆえに、建築をより民主化させる方法論を構築する必要がある。
超群島という思想を着地させる手法。
それは曖昧な、不定形な、一般化するのが難しいことかもしれない。