利己的な遺伝子とは、リチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』によるものである。
すべての生物は、その遺伝子を保存し継続させるために、利己的に活動する。
いっけん利他的に見えるような行動も、本質的には利己的な要因によるものである。
例えば、群れを成す草食動物は、捕食者である肉食動物に捉えられる確率を出来る限り減らすためにそれを行う。
群れることで、孤立しているときより生存確率を上げるのだ。
人間も"情けは人の為ならず"とあるように、すべては自己に返ってくる。
利他的であることは尊いが、利他的であることを第一義に据えるのは無理がある。
利己的であるということは、損得勘定によって行動を規定する、ということを意味する。
これは自分にとってメリットがあるからやろう、これは自分にとってデメリットだからやりたくない、という具合だ。
従って、人間の思考は無意識的か意識的かは問わないが、まず利己的な価値判断を経て利他的な行動に移るというプロセスとなるためだ。
ではその損得勘定の基準はどこからくるのか?
ゲーム理論における有名なものに、「囚人のジレンマ」というゲームがある。
詳しくはwebや『利己的な遺伝子』を参照されたい。
内容を簡易的にし、囚人ではなく賭け事に置き換える。胴元とプレイヤーA・Bがおり、互いに勝ちに賭ければどちらとも3点、片方が勝ちでもう一方が負けに掛ければ負けに賭けた方が5点、お互いに負けに賭ければ両者とも0点とする。
もしAが勝ちに賭けた場合、Bは負けに賭けることで5点獲得となる。
もしAが負けに賭けた場合、こちらもBは負けに賭けることで0点獲得となる。
つまり、互いに利益をあげることを最優先すれば、負けに賭けるのが最も賢いということになる。
一度きりの「囚人のジレンマ」ゲームでは、このような結果になる。
しかし、これを繰り返した場合はどうなるだろう。
いつ終わるか分からない「囚人のジレンマ」ゲームでは、最も利益をあげるには、互いに協力して勝ちに賭け続ける、ということになる。
従って、目先の利益を尊重するか、長期的な利益に投資するかによって、判断が一変する可能性がある、ということだ。
これが利己的な遺伝子の「射程」である。
更に重要なのが、目先の利益を尊重した場合、損をする人を生む可能性を孕んでいる、ということである。
損をした人が将来的に利益を上げている人を攻撃しない理由がどこにあろうか。
これは現代社会において極めて本質的な問題である。
われわれ人間は総じて利己的な遺伝子を持つが、その射程の設定の仕方の如何によって、はっきりと行動が異なる。
例えば、私腹を肥やすためだけを目的にお金を稼ぐことを最優先する人。
一方で、どこにでも気軽に行ける世界をつくるために地球が平和になる手段を考える人。
この利己的な目的におけるパースペクティヴの遠近が、衝突を招くのである。
目先しか見えない人と遠くまで見渡している人とでは、問題提起の内容も価値観も異なる。
そして、彼らが合意形成するためには、近視眼的な人にとっても利益があると思わせるようにチャンネルを合わせなければならない。
重要なのは、目先のことを考えて引かれた線と、先を見越して引いた線とでは、意味内容も重みも全く異なるということだ。
利己的な目的を実現するために、どれだけ利他的になれるか。
その射程距離の遠さ、パースペクティヴの遠さが活動の原動力となる。
近視眼的になってはいけない。
自己がより楽しく生きるために、もっと周囲を見渡さなければならない。